「出て来い! 皆殺しにしてやる!!」
 神奈様が大気へと旅立った後、私と柳也殿は失意のまま京へと戻りました。京に着くまでの柳也殿は、まるで魂が抜けたかの如きご様子でした。されど、京に着くなり鬼の如き形相で宮中へご乱入為さられたのでした。
「この場に必ず首謀者がいる筈だ! 誰だ!? 忠常に我を討ち取るよう命じた奴は!! 片っ端から首を刎ねてくれるわ!!」
 鬼の如き形相の柳也殿のお顔を見た兵共は、我先にへと逃げ出しました。神奈様を失いし悲しみや憤りにより憤怒の鬼神と化した柳也殿を止められる者などおりませんでした。
「お前か、道隆!!」
「ひいっ、儂ではない、儂ではないぞぉぉぉ〜〜!!」
 柳也殿の討伐を真っ先に提案し、実行に移した関白殿は、睨み付ける柳也殿に完全に気圧され、必死で否定為さるのでした。
「ならばお前か、道兼!!」
「ち、違う……お、俺じゃない伊周だ!!」
 内大臣殿は自らが疑われないようにしようと、伊周殿の名を叫んだのでした。
「そうか、お前が元凶か伊周!!」
「ち、違うぞ……決して俺はそのような命は……」
 柳也殿を平家の者に討伐させる案を練った当事者である伊周殿も、必死で否定されるのでした。
「ふっ、件の命は私が考えた」
 そんな中、一人大納言殿は冷静な眼差しで応えたのでした。
「道長、お前かっ!?」
「そうだ!……と言ったら?」
「表へ出ろ!」
「承りました、殿下」
 大納言殿は柳也殿に素直に従い、宮中の外へと出られたのでした。
「あれだけ叫べばご気分が優れましたか、殿下?」
「ふん、策士め!」
「ほう、何故私が策士なのです?」
「あの状況で自分が当事者だとしたら、真っ先に容疑を否定するのが通常の人間の行いだ。寧ろあの場で自分が命じたと冷静に発言する者は、逆にやっていない者だ。真の当事者ならばあそこまで冷静でいられる筈はない」
「流石は殿下」
「だが、お主のお陰で少しは冷静になれた……」
 柳也殿は鬼神の如き荒れていたお気持ちを和らげ、静かに深呼吸を為さいました。
「吾妻からは既に情報が入っている。殿下が強襲されし最中、月讀様が天へ召されたと」
「天へ召されたのではない! 一時的に旅立たれただけだ! 必ず、必ず帰って来る!!」
「これは失礼。何分正確な情報が入って来ている訳ではないので。されど、帰って来ると思っているなら、何故ご乱心為さられたのです? もしかしたならもう戻って来ないかもしれない、そうお思いになられているからこそ、ご乱心為さられたのでは?」
「……」
 大納言殿の追及に、柳也殿は沈黙しました。神奈様を待ち続けるとお約束せし柳也殿でしたが、少なからず二度と逢うことは叶わぬのではないかと思われていたのでした。
「ともあれ、月讀様が旅立たれたことは、我等としても遺憾の極み。何かしら協力したい所ではありますが、我等の手ではどうしようもありません」
「当初からお主達に期待はしておらぬ。晴明殿ならば何かしらの解決策をお持ちであろう。そう思ったからこそ、京に戻って来たのだ」
 そう仰られ、柳也殿は陰陽殿へとお向かいになられたのでした。


最終巻「遥か遠き日の約束」

「柳也殿!」
 一足早く陰陽殿へと向かっていた私は、柳也殿のお姿を見るなり、急いで柳也殿の元へ駆け付けました。
「一体どう為さられたのです!? 都へご到着されるなり血相をお変えになられて……」
「忠常に我を討ち取るよう命じた者が必ず宮中にいる筈。そう思ったら気が気ではなくなった」
「柳也殿……。よもや勢いに乗り、人を殺めてはおりませんよね……?」
「ああ……。然るに危うく見境無しに殺める所であった」
「柳也殿! そんなことを為されば一番神奈様がお悲しみになられることくらいお分かりの筈! それを分かっていて柳也殿は!」
 もし神奈様がいらっしゃるなら、今の柳也殿を必死になってお叱りになられた筈です。自分の愛する者に無用な殺人はさせたくないと思う筈ですから。
 神奈様に柳也殿を任せると頼まれたのです。ならば、柳也殿が神奈様をお悲しみさせる如きご行為を為さられし時は、私が神奈様に代わりお叱りにならなければなりません。それが神奈様との約束を果たすことにも繋がるのでしょうから……。
「殿下、神奈様が大気へ旅立たれた報は既に存じております」
 柳也殿がご到着されたのを受け、晴明殿が柳也殿にお声をお掛けになられました。
「ならば話は早い。大気へと旅立った神奈を再び大地へ戻す良策は何かお持ちか、晴明殿」
「そ、それが……」
 柳也殿の問いに対し、晴明殿は怪訝そうなお顔立ちで俯きました。
「もしや、何の術もないというのか!?」
「大変申し上げにくいのですが、神奈様の旅立ちの報を聞きし直後、自らの魂を一時的に肉体から分離し、神奈様の元へ赴いたのですが……」
 晴明殿は月讀力の応用で自らの魂を分離させ、神奈様のいらっしゃる大気へと赴いたと仰られました。そして……
「なっ、何だと!?」
「そ、そんな……」
 晴明殿の口から語られし神奈様の現状は、とても悲痛なものでありました。
「将門の負の念は余りに強力だったのでしょう……。恐らく自分の存在を消せまいと将門の負の念が、多数の負の念を呼び寄せたのでしょう。
 今の神奈様は、多くの怨霊によって大気へと縛られ、身動きが取れない状態になっております。助けようにも、多くの怨霊の前では私自身が取り込まれる恐れもあり、手が出せない状態でした……」
「神奈は、神奈は母君から記憶を受け継ぐ時にも、負の想いに押し潰されそうになったのだ。あの時は我が側に付いていた為に難を逃れることが叶った。されど、今の神奈の側には我はいない……」
「……。恐らく、神奈様は負の念から必死に解き放たれようと為さられるでしょう。されど、怨念の呪縛から解き放たれるのは容易ではなく、先の件とは異なり、負の念に押し潰されるやもしれませぬ……」
「約束したではないか、神奈……。再び大地へと戻って来ると……。約束を、約束を果たすことは叶わぬのか、神奈……」
 晴明殿のお言葉に従う限り、神奈様が再び大地へとお戻りになられるのは、叶わぬ夢のようでございます。柳也殿自身、神奈様との約束が果たせぬと悟られたのでしょう。晴明殿の言葉を聞き終わりますと、気が抜けたように地面へお膝をお付きになられたのでした。
「再び大地へと戻って来ると、神奈様は約束されたのですね。それならば可能性があるかもしれませぬ……」



「可能性がある!? 詳しく聞かせてはもらえぬか!?」
 柳也殿は藁をも掴む思いで、晴明殿に聞き出したのでした。
「そもそも怨霊というのは、人の恨みや妬みと言った負の念の塊です。人間の最も純粋な負の念が転生し切れずに、大地や大気を彷徨っている存在です。
 その最も純粋な負の念の塊である怨霊に対抗出来るのは、最も純粋な正の念。所謂愛と呼ばれしものです」
「愛か……」
「神奈様が殿下を愛していらっしゃり、再び地上へ戻りたいと強く想えば、怨念の呪縛から逃れられるかもしれませぬ」
 神奈様に柳也殿を愛する想いがあれば願いは叶う。結局の所、私達には何もすることが出来ず、神奈様ご自身のお力で乗り切るしかないのでしょう……。
「されど、何度も申し上げているように、対する負の念も相当強力でございます。例え負の念に打ち勝てたと言いましても、肉体全てを呪縛から解き放つことは叶わず、辛うじて魂の一部を解き放つのが精一杯でしょう」
「魂の一部?」
「魂の融合が叶うならば、その逆も神奈様ならば可能かもしれませぬ。そしてその魂の一部とは、柳也殿を愛し、再び地上に戻って来るという約束を託された想いでしょう!」
 晴明殿のお話は推測の域を出ないものでした。されど、少なからず希望を見出せるということは、多少なりとも安堵感を抱くことでございます。
「されど、仮に解き放たれた魂の一部が地上へ舞い降りとしても、魂の一部では何をすることも出来ませぬ。魂の一部が地上に舞い降りたとしたら、恐らくその想いは他の者に託されるでしょう」
「他の者に託される?」
「託された人間の想いの一部となるということです。されど、魂の一部がどこまで託された人に影響するかまでは分かりません。鮮明な記憶が託される可能性もあれば、誰かに逢いたいという漠然とした想いしか託されない場合もあるでしょうな」
「つまり、例え神奈が地上に戻ることが叶っても、それは魂の一部が戻られる可能性が辛うじてあるだけで、しかもどこの誰に魂が託されるかも分からぬと……」
「然り。怨念に捕らわれし神奈様を完全に解放することはほぼ不可能でしょう」
 結局の所、神奈様が完全に大地へとお戻りになられるのは不可能ということなのでしょうか。もしかしたなら魂の一部が地上へと降り立ち、誰かの想いの一部となる。もし希望を見出すのなら、その誰かを捜し出すことでしょう。
 されど、どこの誰に託されたか分からぬ状態で捜し当てるのは、途方もなく困難なことに思います。
「可能性が無いに等しいが全く可能性が無い訳でもない。されど、今の自分には神奈を救い出すことは叶わぬ。ならば今の我に出来ることはただ一つ! 行くぞ、裏葉!」
「行くと申されましても、一体何処へ?」
「決まっておろう。神奈の生まれた地、みちのくだ! 今の我に出来るのは、神奈が生まれた地で待ち続けるという約束を守ることだけだ……」
「それが一番でしょう。今度こそ本当にお別れですね、殿下。どうかお気を付けて……」
 こうして私達は再び神奈様の生まれしみちのくの地へと赴くのでした。



 京を再び旅立ち、二ヶ月余りが経過せし霜月下旬、私達はようやくみちのくの地へと辿り着くことが叶いました。
「何者だ! 名を名乗れ!!」
「村上天皇第一皇子広平、とでもこの場合名乗れば良いのかな?」
「おお、広平親王殿下であらせられますたが。オラだぢの一ぞぐど親しい巫女さ阿弖流為様の魂がついで、そんなごどを申しでだ。ささ、どうぞ奥へ入って下せえ」
 私達は阿弖流為殿の言に従い、みちのくは衣川に住まう豪族、安倍一族の館を訪ねたのでした。
「私が安倍の長、忠頼と申します。遠路はるばるお疲れ様でした」
 私達を出迎えてくれた兵はみちのく特有の訛がありましたが、流石に長と言うべきか、忠頼殿は流暢な言葉使いでした。
「時に月讀様とご同行されたと聞きましたが、そちらの方が月讀様であらせられますか?」
 阿弖流為殿から神奈様と共にみちのくを訪れと教えられていたからなのでしょう。忠頼殿は私の方に目を向け、神奈様であるかどうかお訪ね為さられたのでした。
「いえ、私は……」
「忠頼殿、実は……」
 柳也殿は、ここに至る一部始終をお話になられました。神奈様と共にみちのくの地を目指し、そして神奈様が柳也殿をお守りする為、大気へと旅立たれしことを。
「そうでしたか、そのようなことが……」
「すまぬ! 神奈はそなた達に取っても大切な存在。我は神奈を護り切ることが出来なかった! 本当にすまぬ!!」
 柳也殿は謝罪の念を込めて、深々と忠頼殿に頭をお下げになられたのでした。
「いえ、殿下が頭を下げられることではございませぬ。月讀様がご自分のご意志で殿下を守られたのであれば、我等が言うことは何もありませぬ」
「そう言って頂けるとは、返す言葉もない……!」
 忠頼殿の寛大な態度に、柳也殿は再び深々と頭をお下げになられたのでした。
「時に、忠頼殿。神奈が生まれし地が何処だか分からぬか? せめてこの足でその地を訪れたい!」
「分かりました。この館から歩いて六〜七刻の所にありますが、晩は近く今宵は雪が降るような雲行き。明日改めてご案内致しましょう」



 翌日、私達は忠頼殿の実子であらせられる忠良殿に案内され、神奈様ご生誕の地へと向かいました。
 今朝は小雪がちらついており、数尺程の積雪量がありました。生まれてこの方雪というのを殆ど見たことのない私に取りまして、雪が降り積もる情景は言葉で表せない程幻想的なものでした。
「ここが神奈様がご生誕された地です」
 忠良殿にご案内されし地は、小高い山でした。
「恩に着る。すまぬがここから先は裏葉と二人で行かせてはくれぬか……?」
「分かりました。どうかお気を付けて」
 私達は忠良殿と分かれ、雪の小山を登り始めました。私はおろか、柳也殿も雪山を歩きしご経験は持たれていないようで、何度か転びそうになりながらも頂上にある社を目指しました。
「ここか、神奈の生まれし地は……」
 暫く山道を歩きますと、広き場所に出ました。そこには小さき社があり、振り返りし眼前には、日高見の川が流れておりました。
 神奈様は以前、ご自分は出羽の山と同じ名が与えられ、同じ名の社が建てられ、日高見の川を仰ぎ眺められる小さき山でご生誕されたと仰られました。ここはその社で間違いないでしょう。
 雪が降り積もりし美しき地。神奈様が本来帰られるべき場所。されど、その神奈様がこの地を踏むことは叶いませんでした……。
「美しい……」
「柳也殿……?」
「この地から眺められる情景、降り注ぐ雪の何と美しいことか……。この情景を、この美しき故郷を、一目神奈に見せたかった……。神奈、神奈ぁぁぁぁぁ〜〜!!」
 柳也殿の悲しき慟哭は、山全体に響き渡りました。柳也殿は声が枯れるまで泣き叫び、その後は人が変わったように静かになられ、神奈様の遺されしご装束を抱き締めながらその場から離れようとしませんでした。
 その柳也殿のお姿が私には余りに不憫なものに映りました。悲しみに包まれし柳也殿を、そして神奈様を救いたい。その想いを秘め、私は一人高野へと旅立ちました。



 年が明けた正暦六年如月上旬、雪も溶け中春が近くなる頃、私は高野の地へと辿り着きました。
「そうでしたか、そのようなことが……」
 私は高野の地にて祐姫様と再会を果たし、事の一部始終をお伝え致しました。
「それで私に会いに来たのは、神奈様と広平のことを伝えに来ただけではないわね?」
「ええ。私に、私に月讀力をご教示願えないでしょうか?」
 神奈様の母君に数年とはいえお仕えされていた祐姫様なら、多少は月讀力に関しての知識を持ち合わせている筈。そう思ったからこそ、私は高野の地を訪れたのですもの。
「確かに私は月讀様程は使いこなせないとはいえ、月讀力を使うことは出来ます。ですがその前に、何故月讀力を求めるのか、理由を聞かせてもらえないかしら?」
「はい。柳也殿は約束致しました。例え百年後になろうと千年後になろうと、神奈様を待ち続けると。されどいくら天照力をお持ちになられている柳也殿とはいえ、百年以上の刻を生き延びるのは不可能でしょう。
 ですが、神奈様がそうであったように、常人より長き刻を生きられる身体にすれば、その願いも叶う。そしてそれが叶うのは月讀力のみ! ですから私に月讀力をご教示下さい!!」
「確かに、月讀力により身体の刻の流れを常人より遅くすることはおろか、身体を鉱物の如き存在にすることも出来ます。されど、それはあくまで月讀様のみしか叶わぬ所業です。私でさえ使えるのはせいぜい魂と自分に同化させたり大気へと旅立たせたりする位よ」
「例え神奈様程扱えなくとも、それに近い位の力を使えるようになってみせます! ですからっ!!」
 私は必死で懇願しました。祐姫様ですら使いこなせない月讀力を私が使いこなせるかは分かりません。ですが、神奈様の為、柳也殿の為、どんな困難が待ち受けていようとも、使いこなせるよう精進するのみです。
「分かりました。貴方の想いは本物のようね。教える、というより月讀様が神奈様に為さられたように、私の力そのものを貴方に授けます。
 されど、この力を得るにはそれなりの代償が必要です」
「代償?」
「月讀力は常人が使うには大き過ぎる力故、五感の一つを絶ち切れねばなりません」
「五感の一つを!?」
「視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。五感は生きる上でどれも欠かせないものよ。だから、この内一つでも失えば、生きるのは相当困難になるわ。
 けど、その代わり直感と言うべき第六感は研ぎ澄まされるわ。失われた五感の一つを補おうとして。
 月讀力はこの第六感が大きく作用する力よ。この力を会得する為、私は自ら視覚を絶った。五感の内失って最も困るのが視覚だからよ。
 貴方に私のように自ら視覚を絶つ覚悟はあるかしら? もう二度とあらゆる情景も、愛しき者の顔を見ることも叶わなくなる覚悟は?」
「……」
 私は暫く沈黙しました。力を手に入れるには視覚を失わなければならない。もう二度と柳也殿のお顔を見ることは叶わなくなる。それに果たして自分が耐えられるだろうかと。
「……。神奈様は柳也殿のお側にいたくともいられないのです。私は目が見えなくなるとはいえ、柳也殿のお側にいることは叶います。神奈様のお苦しみに比べれば、私の目が見えなくなる苦しみなど、大したことではありません。
 それに……私は幼き時柳也殿に母上を助けて頂きました。そのご恩は一生忘れることの叶わぬご恩です。ですから今度は私が柳也殿に恩返しをする番です!」
「充分な覚悟をお持ちのようね。貴方のような女性に慕われて広平は幸せね……。これは私が自らの視覚を絶った時に使った小刀。この小刀を使いなさい」
「はい」
 私は祐姫様から小刀を受け取り、右目の側に小刀を置きました。そしてもう見ることの叶わぬ柳也殿のお顔を思い浮かべながら、一気に小刀で視覚を絶ちました……。



 元号が変わりし長徳元年の春から夏にかけ、都は再び疫病に苛まれました。都の人々は疫病に苦しむ中、再び柳也殿、神奈様が民を疫病から救って下さることを願っていました。されど、その願いが叶うことはありませんでした。
「殿下、広平殿下は未だご到着せぬのか……。みちのくへ出した使いは何をしている……! 嗚呼、何と儂は愚かなことをしてしまったのか……。もし広平殿下、月讀様がいらっしゃったなら、儂の病など軽々と治して下されたであろうに……」
 そんな中、関白殿は昨年の暮れに患った糖尿病が悪化し、床に臥せるようになりました。床に臥せている間は四六時中、鬼と蔑み討伐為さろうとした柳也殿を今更殿下とお呼びになり、自分を助けてくれるよう叫び続けたと言います。
 されど、柳也殿が現れる筈もなく、関白殿は同年卯月十日に薨去されました。
 その後同月二十七日、道隆の弟である道兼殿が関白の位を授かりました。されど道兼殿は疫病を患い、翌月の八日に薨去されました。
 道隆殿、道兼殿が相次いで薨去された後、大納言殿と内大臣となられし伊周殿との間に権力闘争が起きました。闘いは大納言殿の勝利に終わり、大納言殿は葉月に内覧の宣旨を受け、右大臣となられたのでした。
 そのように都で大きな動きがあった中、私はみちのくへと帰りました。
「忠良殿、柳也殿は出羽神社にいらっしゃるのですね?」
 私は安倍館を訪ね、柳也殿のご所在を訪ねました。
「はい。あの日以来ずっと社を動かずに。然るに裏葉殿、高野へ赴くと旅立たれて以来数ヶ月が経ちましたが、その間何があったのです? そのように目の光を失われているとは……」
「神奈様と同等の力を得る為に、自ら目の光を絶ちました。ご所在を教えて頂き感謝の言葉もありません」
 そう言い終え、私は柳也殿の元へ向かいました。視力を失い数ヶ月が経ちますが、今では気配を感じるだけで周囲の把握が出来、人並みに歩くことが叶うようになりました。そのように歩けるようになったからこそ、私はみちのくへと帰って来たのです。
「柳也殿……」
 羽黒山の山頂に位置する出羽神社に赴きますと、柳也殿の気配を感じました。柳也殿の気配を感じて、私は驚きました。今の柳也殿からは嘗ての覇気は感じられず、まるで魂が抜けたかの如き気配でありました。
「裏葉、その声は裏葉か! 今まで何処に……!?」
 柳也殿は私の声に気付き、こちらに近付いて参りました。
「その目は……その目はどうしたのだ!?」
 私の目が見えなくなっていることに気付き、柳也殿は足をお止めになられました。
「柳也殿の母君から月讀力を授かって参りました。この目は力を授かる代償として自ら絶ちました。
「何と……。何故そこまでして母君から力を……?」
「今すぐ神奈様をお助けすることは叶わぬでしょう。されど、百年、千年後にはもしかしたなら助ける術が見付かるかもしれません。その時まで柳也殿がこの地で神奈様をお待ち続けられるようにと思い、私は月讀力を授かりました。
 この力により柳也殿の刻を遅くすれば、百年、千年神奈様のお帰りをお待ち続けることが叶うでしょう」
「裏葉、お前はそこまでして我の力になろうと、神奈を救い出そうと……」
「それが神奈様と交わした約束ですから……。それに、私には柳也殿に母上を助けて頂いたお礼があります。ですから、今度は私が柳也殿にご恩返しをする番です……」
「裏葉、すまぬ、本当にすまぬ!!」
 そう仰られますと、柳也殿は私を強く抱き締められ、大地へと押し倒しました。
 今から十五年前、山道で泣き崩れていた私に優しく接して下さった柳也殿。大きく暖かく私を包んで下さった柳也殿。その柳也殿の温もりを私は今、全身で感じているのです。
……今なら、柳也殿がどのようなお方か分かる気が致します。母への愛、妹への愛……。柳也殿は純粋に家族の愛を求めているのでしょう。ならば私は……
「裏葉、子を作ろう! 我は自らの身をこの地に縛り神奈の帰りを待ち続ける。されど、その間誰かが神奈を救う術を、地上へ降りた神奈の想いを託された者を探さねばならぬ。
 その役目は何人にも任せられぬ! 我と、裏葉の子に我等の願い、我等の約束を託すのだ!!」
「はい、柳也殿……」
 ならば私は、側室として柳也殿の家族となり、その愛を一心に受け止めるまでです。私は快く柳也殿を受け入れました……。
 神奈様が生まれしこの地で、私と柳也殿は新たな命を産み出したのでした……。



 それから五年が経過せし長保二年如月、右大臣殿のご長女彰子しょうし様が、今上帝の中宮となられました。
「彰子様が入内じゅだいされてから早数ヶ月、このような吉日を迎えることが叶うとは、この頼光、心よりお喜び申し上げます」
 右大臣殿の家臣となられし頼光殿、頼信殿は、心から右大臣殿をご祝福されたのでした。
「時に右大臣殿。忠常討伐のご許可はまだ頂けぬでしょうか?」
「頼信! このようなめでたき場で滅多なことを申すな!」
「然るに兄者! 道隆、道兼殿は既になく、伊周殿は失脚。柳兄者を討伐しようとした当事者は皆報いを受けた。あと報いを受けておらぬのは、実行者である忠常だけだ!!」
「頼信、お前の気持ちは分からぬでもない。然るに私情で忠常を討伐しようとするのは、嘗ての兄君達と何ら変わらぬ。そのようなことをすれば、お前もまた報いを受けるぞ」
「それは分かっております。されど……!」
 右大臣殿が仰られていることが正論だとご理解出来ていても、頼信殿は煮え切らぬ思いでした。いつか機会があれば、忠常を討つ! 頼信殿がそう思われし時から、この後二百年余り繰り広げられる源平の確執が生まれたのでした。
「然るに、右大臣殿。彰子様が中宮となられたのに、余り嬉しそうではありませんね?」
「充分嬉しいと思っているぞ、頼光。されど、今上帝の中宮では、正直役不足だ」
「役不足? これ以上何を望んでいるのです?」
「今上帝の中宮ではみちのくは手に入らぬ。広平殿下の中宮ならばみちのくを含めた日本全土を掌握したと言っても過言ではないだろうに」
「日本全土とは、やはり右大臣殿は器が違います。されど、畏れ多くも右大臣殿とはいえ広平殿下を自分の思いのままの存在とすることは叶わぬでしょう。それに、広平殿下の妻は神奈様お一人以外許されません」
「分かっているさ、広平殿下が私の娘を中宮に為さられることなどあり得ぬと。故に役不足と思えど、現状で満足するしかあるまい」
 右大臣殿はあくまで藤原北家が、ご自分が日本を事実上統治することを第一義と考えておりました。
 されど、柳也殿が自分の手に終えるものではなく、それ故自治を認めさせ、帝と同等の位を与えても良いと思っておりました。そして、その上でご自分のお子を柳也殿の中宮とし、今以上の権限を持つことを考えていたのでした。
「あらあら、お話を聞く限り広平殿下というお方は、随分と面白きお方ですわね」
 右大臣殿のお話を耳にし、ご祝典の場にいらっしゃた、とある女性が声をあげました。
「右大臣殿、このお方は?」
「わたくしは越後守藤原為時えちごのかみふじわらのためときの娘、香子と申します。この度は父に代わり右大臣殿にご祝電を述べる為馳せ参じました」
 お名前を訪ねる頼光殿に対し、香子様は自ら名を名乗りました。
「聞く所、女であるにも関わらず漢文を読みこなせるという話であったな」
「あらあら、誉めても何も出ませんわよ、右大臣殿」
「何と、漢文を! 俺でさえまともに読むことが出来ぬというのに……」
 自分でさえ読みこなせない漢文を、女の身であるにも関わらず読みこなせる。その才気に頼信殿は素直に感嘆されたのでした。
「もう少し聞きたいですわね。その殿下のお話を……」
 右大臣殿、頼光殿、頼信殿は自分が知る限りの柳也殿のお話を、香子様にお聞かせ為さられました。
「ふ〜ん、凄い人ね広平殿下というお方は。でも、そんな人が公式な記録に名を残せないのは可哀想ね……」
「まったくだ。柳兄者のような者が歴史に名を残せぬなど、不条理の極み!」
「ふふっ、手がないわけではありませんわ。史実として残せぬなら、物語として残せば良いのです」
「物語?」
「史実を綴るのではなく、創作された話を後世に伝えるのです」
 当時の書物といえば、公式な記録を記した書、歌を記した書、日々の生活を綴りし日記が殆どでした。そのような書物ばかりでしたので、創作である物語を綴るというのは、新鮮な響きがありました。
「最も、参考にする程度でありのまま描くわけではないわ。どんな物語を書くかはまだ決めていないけど、主人公の名前位は決めておいても良いわね……。
 性は天照大神を象徴せし『光』、名は武き者を象徴せし『源氏』……。光源氏という名はどうかしら?」
 この香子様こそ、後の世日本最高峰の古典文学として称えられるようになる『源氏物語』の著者であらせられる紫式部様なのでした。
 公式な記録に名を記載されることの許されない柳也殿でしたが、牛頭天王として、そして光源氏として後世まで語られることとなるのでした……。



「ちちぎみ、ちちぎみ!」
 同じ頃、柳也殿は五歳になられる私達の子のお相手をしておりました。
往平ゆきひら、少しは力を使えるようになったのか?」
「うん! みててちちぎみ」
 往平は地面に置きし人形に天照力を込めました。
 ピク、ピク。
 すると、僅かではありますが、人形の手足が動き出しました。
「上出来だ、往平。元服前にそれ程力を使えるのなら十分だ」
 良く出来たと、柳也殿は往平の頭を優しく撫で上げました。
「裏葉も大分力を使いこなせるようになったし、往平もある程度は天照力を使えるようになった。そろそろ眠りに就く頃合だな」
「はい。ですが、本当に宜しいのですか、あの人形を往平に託して?」
 神奈様が大気へと旅立たれる直前までお繕いになられていた人形。それは私の予想通り柳也殿のお顔を模したお人形でございました。そしてそのお人形は神奈様のご装束と共に大地に遺されたのです。
「構わぬ。この人形は神奈が想いを込めて繕った物。ならば、神奈の想いを託された者が何かしらの反応を示すかも知れぬ。それに、天照力の鍛錬にも使えるしな」
 永き眠りにお就きになられる際、お側に神奈様の残せし者をお置きになられてはいかがですかと私は申し上げましたが、柳也殿はいらぬと仰られました。
 こうして神奈様のお繕いしお人形は往平に、そして神奈様のご装束は私に受け継がれたのでした。
「これくらいで良いな」
 柳也殿は自らがお眠りになる穴を掘り上げました。
「この穴の周囲を石で囲い、僅かながら通風孔を空ける。これで十分であろう」
 その穴はさながら石室のようでございました。
「鍛錬を重ねはしましたが、やはり私の力は神奈様には及びません。お身体を鉱物の如き物にする術も、百年が一年と感じられる程度には時が経ちます」
「それでも四、五千年は眠りに就けられるであろう。それだけの時が経つ前に解決策は見つかるであろうよ」
 物事を辛うじて認識出来る程度であれば、より長い方が良い。そう仰られ柳也殿は永き刻を石の如く眠り続ける道を選んだのでした。
「裏葉、眠る前にいくつか伝えておきたいことがある。まずは、我が眠っている地の上に木を植えてくれ。百年、二百年と経つ内に我が何処に眠っているか分からなくなるだろうからな。その対策として目印となる木を」
「はい」
「そしてこれは我自身の願いだが……。裏葉、お前は生きよ! 人としての生涯を全うするのだ! 我も神奈もまともに人としての時を生きることは叶わなかった。せめてお前だけは人としての時を歩んで欲しい。
 その命尽きるまで、決して自ら命を絶つことなく生き続けるのだ! そう約束してはくれぬか? 裏葉」
「はい。約束致します。自ら命を絶つことなく人としての天寿を全うすると」
 人としての時を生きて欲しい。その約束を私と交わした後、柳也殿は永く深い眠りに就きました。いつか大地へと帰って来る神奈様を待ち続ける為に……。



「この山で良いのだな、頼良よりよし殿?」
「はい。この山の先に月讀宮様はいらっしゃいます」
 それから四十年余りが経ちし長久四年の冬、頼信殿はご自分の孫である源太丸殿を連れ、みちのくの地を訪れました。
 頼信殿は安倍の長である頼良殿に案内され、私が住まう羽黒山に足を踏み入れたのでした。
「この気配は……お久し振りでございます、頼信殿」
「こうして会うのは五十年来位になるか、裏葉殿。裏葉殿に何かあった時は、必ず俺が助けると約束しておきながら、この年になるまでみちのくを訪れることすら叶わなかった。
 かの忠常は十年程前に反旗を翻し、俺が討伐に当たった。直接交える前に忠常は降伏し、吾妻一帯は俺が代わりに統治することとなった。
 神奈様が旅立たれた地は、俺に続く源氏の一族が必ず守り通す。だから安心してくれ」
「はい」
「さあ、源太丸。裏葉殿に挨拶するのだ」
「はい、祖父上! 俺は源頼義が子、源太丸!」
 後世、八幡太郎と呼ばれることとなる後の義家殿は、元気なお声で私に名を名乗りました。
「元気なお孫さんですね」
「これくらい元気でなくては、とてもではないが源氏の家督は継げぬよ。本当は頼義も連れて来たかったのだが、父上をたぶらかした女狐の元へなど行けるかと言われ、連れて来る事は叶わなかった……」
 この五十年間、頼信殿は少なからず私に対する想いを抱き続けていたのでしょう。自分の母親以外に想い慕っている女性がいることが、頼義殿はお気に召さなかったのでしょう。
「さ、一葉かずは、貴方もご挨拶為さい」
「はい、お母様……」
「その娘は裏葉殿のお子か?」
「ええ。と言いましても私の実子ではありません。生まれつき目が見えなくなっていた故か山中に捨てられており、余りに不憫に思い私の子として育てることにしたのです」
「優しいな、裏葉殿は。目と言えば裏葉殿も見えてはおらぬようだが、その目はどうしたのだ?」
 私は頼信殿に話しました。神奈様をお救いになられる為、自ら目の光を断ち月讀力を受け継いだことを。
「何と、そこまでして……。叶わぬな、裏葉殿には。やはり俺の妻にしたかったものだ……」
『未だにそのようなことを言うから息子に嫌われるのだぞ、頼信』
 その時、辺りに柳也殿のお声が響き渡りました。
「この声は、柳兄者! どこにおるのだ?」
『お前の後ろにある木の下に眠っている。お前のように力持ちし者と通じ合える力だけを残してな』
「そうであったか」
『我の息子鬼柳きやなぎの往平は、今も神奈を助ける術を、神奈の想いを託されし人を捜し出す為、日本全国を旅している。もしどこかで我の息子に出会うことがあれば、力になって欲しい』
 往平に柳也殿自ら与えし鬼柳の姓。それは”赤い鬼の柳也”の名を何らかの形で後世に残したいと思った柳也殿がお考えになられし姓でした。
「分かった、約束しよう、必ず力になると! 時に裏葉殿、息子が鬼柳の姓を名乗っているということは、鬼柳裏葉という名になったのか?」
「いいえ。私は別の姓を柳也殿から授かりました。百年、二百年と時を経てば、私達の子孫は約束を忘れてしまうかもしれない。そうなった時、約束を月讀力を持って確実に受け継がせる。
 月讀力は私が柳也殿の母君から授かりしお力。そしてこのお力はこの一葉に授けます。目の見えぬ者が世を生きられる力として、約束を語り継ぐ力として。
 そして一葉もまた、私のように目の見えぬ子を自分の子とすることでしょう。この力は母から母へと受け継がれる力として後世へと継げられます……」
「そうか。それで肝心の姓は?」
「はい。月讀力を受け継ぐ月讀宮の巫女として与えられし姓、月宮つきみや。今の私は月宮裏葉と申します」
「月宮か、良い姓だ。結局俺は裏葉殿の力にはなれなかったが……約束しよう! 俺の子孫が必ず裏葉殿の想いを引継ぎし月宮の巫女の助けとなると!!
 そして、そしてもし願いが叶うならば、その月宮の巫女を我が子孫の妻として迎えたい!」
「はい、約束です」
 私と頼信殿は約束しました。源氏の子孫が月讀宮の力となると。そして、願いが叶うならば妻として迎えると。
 柳也殿と神奈様が交わされし約束。そして私と頼信殿が交わした約束。それらの約束は遥か遠き日の約束として、千年の刻語り継がれるのでした……。



…日月あい物語完











そして……





千年余りが経とうとしたある冬の日……





「祐一く〜ん。こっちだよ、こっち〜〜!」





月讀力を受け継ぎし者の子が……





「待ってよ〜あゆちゃ〜〜ん!」





源氏の血を引継ぎし子を誘い……





「ふぇ〜……、ようやく登り終わったぁ〜」

「お疲れ様、祐一君。ここがボクのとっておきの場所だよ」





この約束の地を訪れたのでした……。


…みちのくKanon傳へ続く

※後書き

 ゴールッ、じゃないんですよね。これが「スタート」だったりします。
 何はともあれ、二年以上の月日を費やしてしまいましたが、ようやく『日月あい物語』を書き終えることが出来ました。一時期完結出来ないだろうと思っていましたので、完結出来たことが奇蹟かもしれません(笑)。
 冗談はそれ位にしておきまして、これが『みちのくKanon傳』、『みちのくたいき行』に至る道です。何故柳也があの地で眠っているのか? あゆが受け継いだ力は元は誰から受け継いだのか? その辺りが判明し、多少の矛盾はあれどこれで三作品が繋がりました。
 しかし、当初は「Kanon傳」で終わる予定が「AIR」をプレイしたことにより世界観を繋げてみたいと思うようになり、気付いたら四年経っても完結し切れていない作品群となってしまいました(苦笑)。
 当初あゆの苗字「月宮」に由来を求めたくて、「月讀宮の略で月宮」というネタを思い付き、その後「月讀宮力」に関連し「天照力」、「須佐之男力」などという概念を生み出してしまいました。
 そしていつの間にやら間接的に日本神話が交わり、「天照力を持つ者と月讀を持つ者の物語」となり、『日月あい物語』が誕生した訳です。ちなみに、タイトルの「日月」は言わずもがな、日は柳也を、月は神奈を表しています。
 さて、『日月あい物語』を終えることが出来ましたし。残りは「たいき行」の続きですね。第一部の見直しが終わり次第、第二部の執筆に入りたいと思います。「Kanon傳」のリメイク版は忘れて下さい(笑)。こちらも書きたい所ではあるのですが、量が量で全話をリメイクするのはほぼ不可能だと思っておりますので。
 では、「たいき行」第二部でまたお会いしましょう!


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